あなたは、自分の「記憶」にどれくらい自信がありますか?
たとえば10年前に言われた一言、幼い頃の家庭での出来事。
私たちは「確かにそうだった」と思い込んでいる記憶でも、実はその多くが、とても曖昧なものなのです。
私自身も、小さな頃の記憶をずっと大切に──いえ、ある意味“握りしめて”生きてきました。
育児に疲れていた母、姑との関係に悩んでいた母。その苛立ちの矛先が、いつも私に向けられていたように感じていたのです。
叩かれたこと、押し入れに閉じ込められたこと、真冬にベランダに追い出されたこともありました。
でも、それはもう50年近くも前のことです。
それが本当に「どれくらい正確だったのか」は、正直わかりません。
ただひとつ確かなのは、私はその記憶を何度も何度も思い返して、
そのたびに「私は大事にされなかった子なんだ」と、自分の中で“意味づけ”を強めていたということです。
記憶がくれた“真実のようなもの”
記憶は、単なる出来事の記録ではなく、感情や価値観と混ざって“物語”のように再構築されていきます。
私たちは「私はずっと責められていた」と思いながら、本当は何が起きていたかを、正確には覚えていません。
むしろ、自分の傷ついた気持ちを正当化するために、記憶を“脚色”してしまっていることさえあるのです。
そう考えると、私たちの苦しみは、「事実」そのものより、
「どう意味づけてきたか」によって形作られているのかもしれません。
過去を癒すのは“新しい視点”
私はいま、両親との関係がとても良好です。
とくに母とは、年を重ねるごとにお互いを理解し合えるようになりました。
あのとき母が、どれほど追い詰められていたのか。
誰にも助けを求められずに、子どもにきつくあたるしかなかった気持ち。
それも、いまの私には少しずつわかるようになってきたのです。
それでも、過去の“傷”が完全に消えるわけではありません。
でも、その傷を“違う意味”で見ることはできるようになりました。
たとえば、「あの経験があったから、私は人の痛みに寄り添えるようになった」
そんなふうに、記憶に“新しい意味”を与えることができたのです。
記憶は変えられる。幸せも選び直せる
記憶は事実ではなく、選びとった“解釈”です。
そしてその解釈は、いつからでも変えることができるのです。
「あの人に傷つけられた私」
「愛されなかった私」
そうしたアイデンティティから自由になることは、今この瞬間からでも、可能です。
あなたが「今の幸せ」を感じられないとき、それは“過去の物語”を握りしめているからかもしれません。
その記憶を手放すことは、あのときの自分を否定することではありません。
むしろ、「あの時も、私はがんばってた」「私なりに、生き延びようとしていたんだ」
そう認めてあげることが、過去との和解なのです。
おわりに
「過去に縛られている」と感じるとき。
「どうしても許せない記憶」があるとき。
それはあなたが“今を大切に生きたい”と思っている証拠かもしれません。
もう一度、自分にこう問いかけてみてください。
「この記憶は、本当に今の私に必要?」
答えが「NO」なら、少しずつ、手放す準備を始めましょう。
あなたがもっと軽やかに、自分らしく生きられるように。
過去の記憶に優しく区切りをつけて、新しい意味づけを選んでいくことは、きっとあなたの力になります。
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